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1916 大正5 0歳 |
9月29日、東京神田駿河台 浜田病院で出生 |
1921 大正10 5歳 |
東京女子師範学校(現 お茶の水女子大学)付属幼稚園に入園 |
1923 大正12 7歳 |
暁星小学校入学 岩井貞麿にピアノを学ぶ 9月、逗子で関東大震災にあう |
1929 昭和4 13歳 |
暁星中学校入学 |
1932 昭和7 16歳 |
成城高等学校尋常科(中学4年)に転校 ジェームズ・ダンにピアノを学びはじめる |
1933 昭和8 17歳 |
成城高等学校理科甲類に進学 鈴木二三雄にチェロを学びはじめる 11月、新交響楽団(現 NHK交響楽団)定期演奏会会員になる |
1934 昭和9 18歳 |
成城高等学校文芸部誌「城」(第19号 同年12月発行)に「今秋の洋楽壇」を
寄稿 レコード雑誌「ディスク」に「コルトー礼賛」を投稿、掲載される |
1936 昭和11 20歳 |
東京帝国大学理学部植物学科に入学 10月、成城高等学校OBの合唱団員として、ヴェルディ《レクイエム》(ロー ゼンストック指揮、新交響楽団)に参加 以後、1943年の《マタイ受難曲》まで5回参加 |
1937 昭和12 21歳 |
東大オーケストラにチェロで参加(1944年まで) 11月、細川碧(東京音楽学校教授)に和声法と対位法を学ぶ 上智大学のアカデミア・グレゴリアーナの講習会に参加、グレゴリオ聖歌を学 ぶ |
1938 昭和13 22歳 |
6月、植物学科実習で小笠原、硫黄島に採集旅行 |
1939 昭和14 23歳 |
東京帝国大学理学部卒業、同大学院入学 鈴木鎮一指揮・東京弦楽団のチェロ奏者となり数年間在籍 7月、徴兵検査にて第2種合格 12月、諸井三郎に師事 大学院退学、東京科学博物館植物学部嘱託(1941年1月まで) |
1941 昭和16 25歳 |
東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学 7月、東部第七七部隊に応召、即日帰京となる |
1942 昭和17 26歳 |
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1943 昭和18 27歳 |
9月、東京帝国大学文学部卒業、理研科学映画社に入社(1944年6月まで) 記録映画、軍関係の教育映画の作曲多数 |
1944 昭和19 28歳 |
7月、日本音楽文化協会事務局企画部に勤務 終戦後同協会の解散まで在職 斉藤秀雄に指揮法を学ぶ |
1945 昭和20 29歳 |
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1946 昭和21 30歳 |
3月16日、「新声会」第一回試演会 9月、東京音楽書院の嘱託として、合唱曲を多数編曲(1953年まで)
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1947 昭和22 31歳 |
6月22日、NHK「名曲鑑賞の時間」にはじめて解説者として出演 10月、文部省図書編纂委員となる-器楽教科書のために《メヌエット》を作曲 この年、池内友次郎に短期間、対位法を学ぶ |
1948 昭和23 32歳 |
10月、「子供のための音楽教室」(後に桐朋学園大学音楽科へ発展)開設に参
加 |
1949 昭和24 33歳 |
8月、「音楽芸術」誌に「バルトーク論」連載(中断をはさみ1951年3月まで7
回) 11月、「新声会」同人一同が第1回毎日音楽賞を受賞(第八回新声会発表会に よる) この頃から翌年にかけて入野義明と12音技法の研究会をひらく |
1950 昭和25 34歳 |
10月、自宅で入野義明とヒンデミット「作曲の手引き」のゼミを開始(翌2月
まで9回)
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1951 昭和26 35歳 |
4月、フェリス女学院音楽科講師 11月、NHK第二放送「音楽入門」の「現代音楽」担当(1953年3月まで毎週 金曜日) |
1952 昭和27 36歳 |
4月、桐朋女子高校音楽科開設(1955年3月まで学科主任) 8月、第21回毎日音楽コンクール作曲部門審査委員(1972年まで) 9月、お茶の水女子大学文教育学部教育学科 音楽教育学専攻の専任講師 |
1953 昭和28 37歳 |
自宅で入野義明を講師にレイボヴィッツ「シェーンベルクとその楽派」の論講
を開く
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1954 昭和29 38歳 |
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1955 昭和30 39歳 |
4月、桐朋学園音楽科短期大学開設(1958年まで非常勤講師) 10月、お茶の水女子大学助教授に就任 東京工業大学非常勤講師 |
1956 昭和31 40歳 |
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1957 昭和32 41歳 |
8月「二十世紀音楽研究所」(所長・吉田秀和)発足 同研究所主催「第一回現代音楽祭」を軽井沢にて開催(1965年まで6回) 9月、ブリヂストン美術館主催「作曲家の個展」にて七作品演奏 |
1958 昭和33 42歳 |
1月、NHKラジオ特別教養番組「二十世紀の音楽会」(4回) 8月、「音楽芸術」誌に「オリヴエ・メシアンの人と音楽」連載開始 |
1959 昭和34 43歳 |
1月、NHK-FM「大作曲家の時間」のための解説執筆(1965年3月まで329
回) NHKのTV俳優養成所のための音楽講座(5回) 5月、「朝日ジャーナル」の《鑑賞席》(署名)、《文化ジャーナル》(無署 名)を数名で担当(1973年1月まで) 8月、「音楽芸術」誌に「ピエール・ブーレーズの音楽語法について」連載開 始 9月、東京芸術大学音楽部楽理科の助教授 |
1960 昭和35 44歳 |
4月、NHKの契約出演者となる(1982年度まで) 日本現代音楽協会の委員となる(1974年まで) |
1961 昭和36 45歳 |
4月、NHK第二放送「現代音楽の手引」(20回) 7-8月、西独の新聞情報庁の招きにより渡欧、その後ハンガリー他各国を回る |
1962 昭和37 46歳 |
10月、NHK-FM「音楽夜話」(1964年まで71回) |
1963 昭和38 47歳 |
5月、東京芸術大学 大学院音楽研究科担当 12月、お茶の水女子大学非常勤講師 |
1964 昭和39 48歳 |
12月、NHKラジオ バイロイト音楽祭全曲目の解説(1981年まで) 京都市音楽大賞(作曲)審査員 |
1965 昭和40 49歳 |
7月、北海道学芸大学(現 教育大学)札幌分校で集中講義(1969年まで) 10月、FM東海「バルトーク死後20年」(13回、1969年再放送) |
1966 昭和41 50歳 |
4月、東京芸術大学教授に就任 「二十一世紀の日本」音楽審査委員(内閣)となる |
1967 昭和42 51歳 |
4月、東京芸大付属図書館商議会商議員、芸大評議員 8月、朝日新聞 書評委員(1969年3月まで) |
1968 昭和43 52歳 |
1月、「音楽芸術」誌に「音と思考」連載開始-佐野光司、武田明倫、船山隆
との共同執筆(筆名「プロペルソーナ」10回) 4月、NHK-FM「クラシックサロン」(1972年3月まで) FM東海「日曜音楽散歩」(25回) 7月、大学設置審議会専門委員(文部省) |
1969 昭和44 53歳 |
5月、東京芸術大学辞任(1973年3月まで非常勤講師) 10月、島根大学で集中講義「現代音楽の美学」、隠岐島で民謡採集 レコードアカデミー賞(音楽之友社)選定委員(1975年度まで) |
1970 昭和45 54歳 |
3月、東大寺集二会(お水とり)取材(1976年まで数回) 日本万国博覧会で日本政府館の電子音楽を担当 6月、音楽とテクノロジー-テクノロジー時代の作曲家会議(ユネスコ文化局 主催、ストックホルム)にて講演 「日本における音楽とテクノロジー」 10月、東京大学教養学部教養学科の非常勤講師(1977年まで) |
1971 昭和46 55歳 |
1月、「音楽芸術」誌に「音楽の骸骨の話」連載開始(1972年12月まで) 愛媛大学にて集中講義 12月、東京芸術大学にて集中講義「電子音楽」 |
1972 昭和47 56歳 |
11月、作曲家グループ「トランソニック」結成に参加 |
1973 昭和48 57歳 |
4月、隠岐にて「蓮華会舞」取材 日本女子大学非常勤講師 9月、秋田県横手、羽後町、角館にて民俗芸能取材 |
1974 昭和49 58歳 |
1月、《コンソート・オブ・オーケストラ》で第22回尾高賞受賞 4月、お茶の水女子大学音楽科大学院非常勤講師(1979年3月まで)尚美高等音 楽学院こども科講師(1979年3月まで) 隠岐にて「蓮華会舞」取材 9月、横手萬歳など取材 10月、尚美高等音楽学院にて「現代音楽講座」開講(1977年まで、公開講座) |
1975 昭和50 59歳 |
6月、「トランソニック・セミナ’75にて講演「様式の変遷」 新潟県長岡市にて民俗芸能取材 7月、遠州大念仏取材 (財)余暇開発センター分科会の研究委員 8月、湯河原、新潟県にて社寺芸能および民俗芸能の取材 10月、東京都交響楽団評議員 11月、文化庁こども芸術劇場合唱部門企画委員(1981年まで) 12月、九州芸術工科大学にて集中講義(1978年まで) |
1976 昭和51 60歳 |
3月、高田瞽女訪問 5月、横手萬歳録画 6月、「今日の音楽」第四回に「柴田南雄の音楽・1946年から今日まで」開催 「音楽芸術」誌8月号で特集「柴田南雄論」 8月、佐渡にて民俗芸能取材 長岡瞽女訪問、門付けに同行 10月、弥生土笛出土地訪問 FM東京「クラシックの散歩道」(1977年7月まで34回) |
1977 昭和52 61歳 |
2月、山北の世附念仏取材 5月、越中利賀村の祭り取材 |
1978 昭和53 62歳 |
1月、FM東京「ステレオ名曲コンサート」(1981年6月まで183回) 2月、日本演奏連盟主催「ピアノ奏法講座」(大阪・京都)講師 4月、文化庁 舞台芸術創作作品(管弦楽曲)選考委員(1993年度まで8回 ) 5月、日本交響楽振興財団の評議員、企画委員、管弦楽曲公募コンクール審査 員(1983年度まで) 日本音楽コンクール審査員(1983年度まで) 9月、長崎県生月島で隠れキリシタン取材 11月、ビクターから「柴田南雄の音楽」刊(芸術祭参加) レコード部門優秀賞、音楽之友社レコード・アカデミー賞(現代曲部門)受賞 12月、高校音楽講座「日本民謡を素材とする新しい形式の合唱曲をつくる」( 福島県教育センター、1981年まで) |
1979 昭和54 63歳 |
6月、NHK-TV 女性手帳 「音の流れ」(4回) |
1980 昭和55 64歳 |
4月、諏訪御柱祭取材 東京国分寺出土翡翠の笛(?)取材 福岡県辻田、山口県綾羅木、土井ヶ浜各遺跡取材 長崎県生月島再訪 5月、青森県是川遺跡など取材 放送大学実験番組「音楽史と音楽論」(15回)作成、テレビ朝日から放映 9月、函館、網走、紋別、大阪、長野県箕輪の博物館などで古代の出土楽器取 材
|
1981 昭和56 65歳 |
4月、尚美音楽短期大学(新設)教授(1983年3月まで) 5月、第四回東京音楽芸術祭のテーマ作曲家となり、七曲上演 9月、島根大学にて集中講義、付近の遺跡探訪 10月、芸術祭主催公演にてシアターピース四作品上演(東京・大阪) |
1982 昭和57 66歳 |
2月、中島健蔵記念現代音楽振興基金の運営委員長 3月、第十三回(1981年度)サントリー音楽賞受賞 5月、沖縄多良間島にてスツウプナカ(祭)取材 7月、サントリー音楽賞受賞記念「柴田南雄の宇宙」開催、シアターピース6 曲上演(東京・大阪) 8月、奈良と滋賀県朽木村にて念仏取材 9月、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の「口頭伝承の比較研 究」共同研究員(1986まで) 11月、紫綬褒章受賞 |
1983 昭和58 67歳 |
2月-8月、大阪府下各地の社寺芸能、民俗芸能(主として子供のもの)取材 5月、NHKラジオ第二放送「作曲家の目」(1994年4月まで120回) |
1984 昭和59 68歳 |
4月、放送大学教授(1990年3月まで) 6月、山形県・秋田県にて縄文時代の土笛取材 7月、熊本県にて肥後琵琶の調査 8月、奄美大島秋名にて民俗芸能取材 |
1985 昭和60 69歳 |
2月、NHK-FM「若者の心をとらえるマーラーの魅力」(5回) 12月、与那国島の民俗芸能取材 |
1986 昭和61 70歳 |
2月、NHK-FM「柴田南雄の作品」(4回 7曲) 4月、アリオン音楽財団評議員 11月、スペース桐里「柴田南雄70歳」 四曲演奏 大分県芸術祭「柴田南雄の世界」シアター・ピース四曲上演 |
1987 昭和62 71歳 |
4月、九州各地にて放送大学教材改訂のため取材 NHK-BSTV「N響Bモード・ライヴ」(1992年まで51回) 6月、ポルトガル、スペイン、イタリア、フランスにて放送大学教材改訂のた め取材 (財)合唱音楽振興会理事 6・7・12月、東京工業大学にて集中講義 12月、三菱信託芸術文化財団評議員 |
1988 昭和63 72歳 |
6月、長野県真田にて出土の笛取材 稲盛財団(京都賞)専門委員会委員(1993年まで) 11月、勲四等旭日小綬賞 |
1989 平成1 73歳 |
5月、東京FM「音楽万華鏡」(1990年3月まで48回) 6月、サントリー音楽財団理事 10月、小泉文夫記念民族音楽基金運営委員長(1993年度まで) 11月、高等学校芸術科講座「古代の音・現代の音-比較音楽史の試み」(1990 年 )まで、福島県教育センター |
1990 平成2 74歳 |
4月、放送大学退職、客員教授となる(1993年3月まで) 東京FM「ザ・シンフォニー・ホール・フロム・ヨーロッパ」(12月まで37 回) 7月、国際音楽シンポジウムにてシアターピース三曲上演(大阪) |
1991 平成3 75歳 |
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1992 平成4 76歳 |
4月、アリオン音楽財団理事 5月、渡米《交響曲・ゆく河の流れは絶えずして》の上演に出席(ニューヨー ク) 7月、札幌にて 交響詩「札幌」審査 9月、遠野の祭り取材 第十二回有馬賞(NHK交響楽団)受賞 11月、文化功労者 |
1993 平成5 77歳 |
5月、徳島県東祖谷山村にて民謡取材 |
1994 平成6 78歳 |
11月、藤村記念歴程賞受賞 |
1995 平成7 79歳 |
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1996 平成8 |
2月2日、永眠
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